ゼロからわかる西洋哲学「イギリス経験論」vs「大陸合理論」|ゆめラジオ

むすび大学チャンネルによる、
YouTuberで英語講師の
ゆめラジオさんを迎えた
西洋哲学シリーズの第1回
「イギリス経験論 vs 大陸合理論」
の内容をまとめました。

この動画では、
近代哲学の幕開けとなった
17世紀の二大潮流について、
その背景と思想の根本的な違いを
分かりやすく解説しています。

1. 近代哲学の始まり(17世紀)

中世(進学の時代)からの脱却

17世紀以前の中世は
「神」の存在が絶対であり、
人間が自ら考える必要が薄い
「神学」の時代でした。

雷が落ちれば
「神が怒っている」
と解釈されるような時代です。

自立の時代

17世紀に入り、
人間が神から離れ、
自分の頭で物事を考え始めたのが
「近代哲学」の始まりです。

2. イギリス経験論(代表者:フランシス・ベーコン)

「経験」の積み重ね

人間の知識は
すべて経験から得られるという考え方です。

実験と帰納法

何度も実験を繰り返し、
数多くのデータを集めることで
正確さを増そうとします。

例えば
「1億回リンゴが落ちるのを見たから、
リンゴは下に落ちるのが正しい」
と結論づけます。

これを
「蓋然性(たしからしさ)」
と呼びます。

3. 大陸合理論(代表者:デカルト)

経験への疑い

フランスやドイツの哲学者たちは、
経験論に対し
「たとえ1億回正しくても、
1億1回目に違う結果が出たら
どうするのか」
と反論しました。

「我思う、ゆえに我あり」

デカルトは、
世界のすべてを疑い尽くしても、
「今疑っている自分」
の存在だけは絶対に疑えない
(明晰判明である)としました。

ここを思考の土台とし、
自分の内側から
論理を積み上げようとしました。

4. 近代哲学が抱える「不幸な分離」

ゆめラジオさんは、
これら二つの潮流が
共通して抱える問題点を指摘しています。

主体と客体の分離

「考える自分(主体)」と
「見られる世界(客体・自然)」が
真っ二つに分かれてしまいました。

分裂した自己

中世では
神や自然との調和・統一がありましたが、
近代哲学によって
「自分さえ良ければいい」
という思考に繋がりかねない、
悲しき分裂が始まってしまったと述べています。

まとめ

17世紀の哲学は、
「実証(イギリス経験論)」か
「論理(大陸合理論)」か
という手法の違いはあれど、
どちらも人間が知性を武器に
世界を把握しようとした試みでした。

これが次回のテーマである
カントやヘーゲルの
「理性の時代」
へと繋がっていきます。

第2回目はこちら

第3回目はこちら

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