古代インド哲学「お前らは自分って存在を勘違いしてるから、悩んだり苦しんだりするんだよ。

このYouTube動画は、
古代インドの哲学者
ヤージュニャヴァルキアの思想を中心に、
「私」という存在の正体と、
苦しみから解放されるための
「梵我一如(ぼんがいちにょ)」
の教えを解説した動画です。

動画の内容を整理して紹介します。

「私」という存在の勘違い

ヤージュニャヴァルキアは、
私たちが日々感じている悩みや苦しみは、
「私ではないもの」を
「私」だと思い込んでいる
(感情移入している)
ことから生じていると説きました。

観客としての私

私たちの正体は、
日常を体験している自分を
客観的に眺めている
「認識する主体」です。

映画の主人公が苦しんでいても
観客自身は無傷であるように、
本当の「私」は
何も悩む必要がない存在です。

「私」ではないものを削ぎ落とす

本当の「私」を特定するために、
自分だと思っている要素を
一つずつ検証していきます。

体・髪の毛

「私の体」と言うように、
それは所有物であって
自分自身ではありません。

肩書き・性格

会社を辞めたり
性格が変わったりしても
「私」は続くため、
これらも本質ではありません。

脳・思考

脳の物理的な動きが
意識を生む仕組みは
現代科学でも解明されていません。

また、
思考は自分の意志とは関係なく
勝手に浮かんでくる
「自動現象」に過ぎず、
それを眺めているのが本当の自分です。

「我(アートマン)」と「梵(ブラフマン)」

ヤージュニャヴァルキアの核心的な教えが
「梵我一如(ぼんがいちにょ)」
です。

我(アートマン)

個人を成り立たせている根本原理。
認識する主体そのもの。

梵(ブラフマン)

宇宙や世界を成り立たせている根本原理。

これら二つは
実は同一のものであり、
自分の本質が
宇宙の根本原理と同じであると悟ることで、
あらゆる苦しみから解放されると考えました。

認識できない「認識者」

「私」とは、
あらゆるものを認識する主体であるため、
自分自身を客観的な
「対象」として
認識することはできません。
(自分の目で自分の目が見えないのと同じ)

それゆえ、
何かに縛られたり、
傷つけられたりする
対象(客体)にはなり得ない、
自由な存在なのです。

まとめ:人生を「映画」として眺める

私たちが感じている現実は、
味や匂い、
痛みまで伴う
超リアルな「VR映画」のようなものです。

「私は不幸だ」
と主人公に感情移入するのをやめ、
「不幸な体験をしている映画を、
本当の自分が
上から眺めているだけだ」
と客観的に捉える
(メタ認知する)ことで、
人生は随分と楽なものになると
動画は締めくくっています。

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