- 2024/01/27
*1 [人間の条件]P237
「人間の条件は、人間が条件づけられた存在であるという点にある。
いいかえると、人間とは、自然のものであれ人工的なものであれ、
すべてのものを自己の存続の条件にするように条件づけられた存在である。」
→例えば、人間は地球という環境に縛り付けられています。
人間の条件を語る上で、地球という存在を無視することはできません。
アーレントの時代には人間は初めて地球を飛び出し、宇宙に辿り着きました。仮にこの先人間が地球を手放す時が来たら、人間は新しい条件に制約を受け、もしかしたら今とは違った存在になるかもしれません。
(この辺りは小説[三体]の描写が上手だと思います)
アーレントはそのような時代だからこそ、改めて人間を制約する諸条件について考察をするべきではないかと考えました。
そして人間の「活動力」も人間を条件づける一つの制約です。
しかし地球の話と同じ通り、この「活動力」も環境が変わることで変容します。アーレントは人間の「活動力」(労働・仕事・活動)をとりあえずの人間の本性としながらも、それが失われつつあることを危惧したのです。
*2 [人間の条件]P16
「本書は、人間の条件の最も基本的な要素を明確にすること、すなわち、伝統的にも今日の意見によっても、全ての人間存在の範囲内にあるいくつかの活動力だけを扱う。このため、あるいはその他の理由で、人間がもっている最高の、そしておそらくは最も純粋な活動力、すなわち考えるという活動力は、本書の考察の対象とはしない。したがって、理論上の問題として、本書は、労働、仕事、活動に関する議論に限定され、これが本書の三つの主要な章を形成する」
*3 は存在しません。ミスしました。
*4 [ニコマコス倫理学]十巻七章
アーレントは当時哲学が「観照的」な方向に偏っていたことを危惧していました。観照的(内省的)な姿勢から活動的な姿勢を取り戻すことが[人間の条件]における一つの課題だったのかもしれません。また、ハイデガーがナチに傾倒した原因に関しても[アーレント=ハイデガー往復書簡 1925-1975]にて「思索というものは本質的に世界から切り離された状態でなされるため、 それがかかわりをもつのはつねに不在のものだけ、ことがらであれ物であれ、直接には知覚しえないものだけです」と指摘し、観照的生活が世界における共通感覚を薄めてしまう危険性を主張しました。