- 2024/11/02
ジョージ・バークリーは
ロックの認識論の流れを継承しつつ、
その一部を否定しました。
ロックは人々の感覚には
【一次的性質】と
【二次的性質】があると考えました。
物体そのものが持つ要素を
一次的性質、
物体から感覚器官を経由して
もたらされる観念を
二次的性質
と表したのです。
バークリーは、
そのような分類は存在しないと反論します。
例えば、
目の前にりんごがあり、
少し離れた場所にも
同様のリンゴがあるとします。
その状態において、
離れた位置にある
リンゴの方が小さく見えるから、
そのリンゴは小さい。
と判断して良いものでしょうか?
それは間違った認識だと言わざるを得ませんよね。
正しくリンゴを認識するためには同じ距離にて
りんごの大きさを比較しないといけません。
このように考えると、
ロックが一次的性質に分類した『大きさ』は、
視覚だけでは判断できないことがわかります。
バークリーに言わせると
視覚にプラスして触覚、
つまり、
同じ距離まで『歩く』という行為が必要なのです。
こう考えていくと、
【物体そのもの】
言い換えると
【一次的性質】
なんてものはないのではないかと思えます。
全ての認識は【二次的性質】に分類されるのです。
物体そのものによって
知覚されるものがないとするならば、
知覚があって
初めて物体は存在すると言い換えることができます。
これをバークリーは
『存在するとは知覚することである』
と表現しました。
それまでの哲学では、
存在において、
古くは古代ギリシアの
タレスに始まる哲学者たちが提唱した
世界を主体とした一元論。
デカルトなどが主張した
身体と精神を分離して考える二元論。
この辺りで論争が巻き起こっていました。
しかし、
バークリーの思想はそのどれとも異なるもので、
いわば、精神を主体とした一元論と捉えることができます。
つまり、
精神だけが確実な存在であり、
その精神の働きによって
初めて物体が知覚され、
精神の働きがなければ
そもそも物体を認知できないのだから
それは存在していないと言っても良い。
そのように考えたのです。
ちょっと極端な例ですけどれも、
だるまさんが転んだについて考えてみましょう。
あなたが鬼だとして、
りんごやバナナが
あなたが後ろを向いている間に追いかけてきます。
あなたが振り向けば、
そこにりんごもバナナもあります。
しかしあなたが後ろを向いた瞬間、
あなたの認識からは
りんごとバナナは消えてしまいます。
このとき、
りんごとバナナが実際に存在していないとしても
あなたはそれに気づくことすらできないのです。
そしてまた振り向けば、
りんごとバナナは姿を表します。
このように、
あなたが認識しているから
その物体は存在しているのであり、
認識の枠から外れた瞬間に、
物体は存在の確実性を失ってしまうのです。
バークリーはこのような考えから、
物体を実体とは認めませんでした。
一方で、
知覚する精神については
能動的存在として
実体を認めたのです。
仏教的な要素もあり、
また、シミュレーション仮説の考え方にも近かったりと、
個人的には大変共感できる考え方です。
しかも、これだけでなく、
聖職者であったバークリーは、
ここに神の概念を追加します。
先ほどのだるまさんが転んだの例で言うと、
あなたが後ろを向いている間は
りんごもバナナも知覚することができません。
したがって知覚によって
存在が引き起こされるならば、
知覚していない状態は
存在していないと結論づけて良いような気がします。
しかし、バークリーはそうではないと言います。
その存在を誰も知覚していないと思えるようなときでも
実はそれを知覚している存在が一つだけあると。
それが神です。
神は我々と同じ知覚するものであり、
我々が持つ精神の最高形態である。
そう考えたんですね。
ロジック自体は
非常に無神論的な合理性の強いものなのですが、
そこに神という概念が入ってくるところに
また面白さを感じます。
実はバークリーは当時新大陸だったアメリカに
神学校を建設しようと計画していたほど、
敬虔なクリスチャンで、
その後、アイルランド国教会の主教の役にも就いています。
当時、自然科学が大発達していて、
それによる無心論者が台頭してきていたこともあったため、
そこに対するカウンターという側面もあったのだと推察します。
こうしたバークリーの思想は、
結果的にロックの思想を強化し
その思想がまたヒュームという哲学者に引き継がれていくのです。
【ジョージ・バークリー】西洋哲学史解説の内容の要約。
この動画では、
ジョン・ロックの認識論を発展させ、
「精神一元論」を唱えた
ジョージ・バークリの思想の核心を
分かりやすく解説しています。
1. ロックの「性質」分類への反論
ロックの考え
物体そのものが持つ
「一次的性質(大きさ、形など)」と、
感覚器を通じて得られる
「二次的性質(色、味など)」
を区別しました。
バークリの反論
大きさや形も、
見る距離や状況によって変わるため、
客観的な「一次的性質」など
存在しないと主張しました。
彼は、
すべての認識は主観的な
「二次的性質」
に集約されると考えました。
2. 存在の本質:「存在することとは知覚されることである」
知覚が先、存在が後
物体が独立して存在しているのではなく、
誰かに知覚されて初めて
その物体は存在すると定義しました。
精神一元論
世界は物質でできているのではなく、
確実な存在である「精神」と、
その精神の働き(知覚)によって
成り立つ世界であると説きました。
精神がなければ
物体も存在しないことになります。
3. 「だるまさんがころんだ」の例え
あなたが後ろを向いている間、
リンゴやバナナが動いていても、
あなたが認識していない瞬間、
それらは存在の確実性を失っています。
再び振り向いて認識した瞬間に、
それらは姿を現します。
このように、
認識の枠組みが
世界の存在を規定しているという考え方です。
4. 神の概念による世界の維持
誰も見ていない時の存在
もし「知覚されること」が存在の条件なら、
誰も見ていない時に物は消えてしまうのか?
という疑問に対し、
バークリは「神」という概念で答えました。
万能の知覚者
私たちが知覚していない時でも、
全知全能の「神」が常に世界を知覚し続けているため、
世界は消えることなく
安定して存在し続けているのだと説明しました。
5. 時代背景と影響
バークリは敬虔なキリスト教徒であり、
当時台頭していた自然科学による
無神論へのカウンターとして、
この合理的なロジックの中に
神を組み込みました。
彼の思想は後に
デヴィッド・ヒュームへと引き継がれ、
西洋哲学史において
重要な役割を果たしました。
まとめ
ジョージ・バークリは、
物質という実体を否定し、
知覚する「精神」こそが
世界の主体であると説きました。
この徹底した観念論は、
現代のシミュレーション仮説などにも通じる
非常にユニークで深遠な視点を提供しています。