ロックの生涯
ジョン・ロックは1632年、
イギリスサマセット州の
リントンという村に生まれました。
20歳でオックスフォード大学の中でも
最大のカレッジである
『クライスト・チャーチ』に入学し、
哲学と医学を修めます。
ちなみに、
このクライスト・チャーチは
イギリスの首相を13名も輩出している
名門中の名門です。
35歳まで
同大学で講師などを務めたのち、
その後のイギリスの二大政党の一つである
ホイッグ党の先駆的政治家
アントニー・アシュリー=クーパーの
私設秘書官兼主治医になります。
国が混乱すると、
オランダに亡命しますが、
その後の名誉革命をきっかけに
イギリスに戻り、
精力的に執筆活動に力を入れます。
代表作である
【統治二論】
【人間悟性説】などは
この頃に書かれたと言われています。
彼は優れた政治学者でもあり、
我々に馴染みの深い社会契約説などを
提唱したことで有名ですが、
哲学の面でも大きな貢献をしています。
ロックがこの時代の哲学に何を残したのでしょうか?
認識論
ロックは【イギリス経験論】の始祖と呼ばれています。
デカルトから発展した
大陸合理論をはじめとして、
それまでの哲学においては
人間の認識は
【神から授かったもの】
とされていました。
つまり、
あらかじめ人間には
認識が備わっていると考えられていたのです。
例えば、
プラトンのイデア論においては、
認識のための材料である【イデア】は
我々の世界とは別の
イデア界に最初から存在するとされていました。
また、
スピノザは認識をはじめとする人間の理性すらも
神そのものだと説きました。
このように生まれた瞬間に
認識の力を備えているという考え方を
【生得観念】と表現します。
ロックは当時信じられていたこの考え方に反対します。
人間には最初から認識が備わっているはずはない。と。
例えば、
仮に生得観念があるならば、
子供も大人も同じように
計算などができてしまうはずではないか?
でもそうはなっていないと。
これ自体は想起説などで説明できなくはないのですが、
確かにそう考えると
万人に等しく認識の力が与えられているという説の
説得力は弱いような気がしてしまいます。
そして、
人間の認識の方法についてこのように述べます。
人間は生まれた瞬間は白紙である。
その状態はまるで文字の書かれていない
白い紙【タブラ・ラサ】のようだと。
そして、
様々な経験をすることによって、
その紙に情報が書き込まれ
それにより、
認識の力を手に入れていくのだ。
デカルトは、
思想の出発点に疑いようのない
確実な観念を選びましたが、
ロックは思想の出発点に
【経験】
を選んだのです。
これは当時かなりの衝撃だったはずです。
2000年近く前に
プラトンがイデア論を唱えてから、
人々は神の力によって
認識が可能になっていると信じていました。
それをひっくり返すような提言だったわけです。
そして、
それまでの認識論を否定したことにより、
バークリー、ヒュームと続く、
イギリス経験論が産声を上げたのです。
単純観念・複合観念
さらにロックは
人間の認識の仕方を細かく説明していきます。
前提として認識には経験の蓄積が必要です。
その上で、
経験は大きく2種類に分けることができます。
一つは【感覚】
これは形や数、色や音など、
その名の通り人間が感覚的に得られる観念です。
もう一つは【反省】
心が自分自身を省みたり、
疑ったり、考えたりすることによって現れる観念です。
さらに【感覚】には二つの要素があると言います。
まずは形や数や運動といった、
その物質そのものが持つ【一次的性質】
次に色や味や匂いといった
その物質を人間の感覚器官に働きかけて
生み出される主観的性質である【二次的性質】です。
このように感覚と反省によって生じる経験を
ロックは【単純観念】と名付けました。
そして、
単純観念同士が複合することで生まれる
【複合観念】により
人間は物事を認識することができていると言ったのです。
例えば、
それまで経験で蓄積してきた
『しょっぱい』
『白い』
『さらさらしている』
という単純観念が複合することで
『塩』という複合観念が生まれ、
正しく塩を認識することができるわけです。
このようにして、
ロックは経験によって
物事を認識できると示し、
経験にもとづかない認識による主張、
特に大陸合理論を否定し、
現代の自然科学につながる
経験的な学問の基礎を作ったのです。
ちなみに彼は、
認識が神から授かったもの
という思想には反対しましたが
敬虔なクリスチャンでもありました。
ロックの思想は明らかに
神への信仰のもとに成り立っており、
神が定める摂理に従って生きることが
幸せになる秘訣だと考えていました。
一方で、
人間は神にすがるのではなく、
自分の足で立ち、
自分の足で歩くべきだとも考えており、
このように神への信仰を土台に、
人間の理性の有用性を考える姿勢は
その後のイギリスの国づくりにも
大きく反映されたのでした。